チェーホフの短編小説「たわむれ」を読む

チェーホフの短編小説「たわむれ」を読む

リジヤ・アヴィーロワと「たわむれ」

わたしのなかのチェーホフ」の著者リジヤ・アヴィーロワはチェーホフの「たわむれ」についてこう書いています。

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”よく思い出すチェーホフの短編がある。たしか「たわむれ」という題だった。

冬のある日。風が出ている。若い男女が氷の山で橇滑りをしている。橇が滑り降りるたびに、風が耳元で唸りを立てるちょうどその時、娘には「君が好きだ、ナージャ」というのが聞こえる。

気のせいだろうか。

ふたりはもう一度山へあがり、もう一度橇にのりこむ。橇が激しく揺れてとびだした、、、。するとまた聞こえるのだ、「君が好きだ、ナージャ」と。

誰が言っているんだろう。風? それとも後ろに座っている人?

橇がとまったとたん、すべては日常に戻り、連れの表情も淡々としていると話である。


モスクワのわたしも橇遊びをしていた。

以前にもしたことがあった。

「君が好きだ」という囁きも一度ならず耳にした

けれども、ほんの少し時が過ぎてすべてが日常に戻ると、アントン・パーヴロヴィチの手紙は冷ややかで淡々としているのだった。

題はたしか「たわむれ」といった。”


引用すべて「わたしのなかのチェーホフ」より。群像社

私のなかのチェーホフ


わたしのなかのチェーホフ」が未知谷より「チェーホフとの恋」として復刊しました。

チェーホフとの恋

アヴィーロワの著作の信憑性

このアヴィーロワの「わたしのなかのチェーホフ」という本については諸説あり、嘘とまではいかないもののチェーホフの彼女に対する気持ちを深読みしすぎた嫌いはあるようです。

アヴィーロワはチェーホフ作品のいたるところに自分と作家の姿をみとめています。

チェーホフの妹マリヤ

”リジヤ・アヴィーロワがかつてアントンに抱いたさまざまな思いの丈を伝えていることも事実です

しかし、アントンが彼女をどう思っていたのかを解き明かそうとするのは主観的に過ぎます。

彼女の回想には意識してかしないでかすでに芸術創造の要素が、作家の推量がみられます

回想のこの箇所からすると、アントンは彼女に恋していた、二人は恋愛関係の一歩手前まできていた、彼自身がそのことを彼女に話した、ということになります。

これは事実ではありません。”

と述べています。

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チェーホフと同時代を生きた人々の間でアヴィーロワは、後半生のその苦痛に満ちた生活から同情をもよおさせる女性として見られていたようです。

つまり、チェーホフとかかわった前半生を美化せざるをえない彼女の姿を痛ましいものとして同情に値するというのが彼女とこのエピソードにまつわる評価となっています。


チェーホフの研究者であるパペールヌイの言葉を引用します。

”我々が目にするのは単純明白な嘘ではなく、どこか心もとない、曖昧な嘘である。

筋の通った計算づくの欺瞞ではなく、苦渋に満ちた夢のような自己欺瞞であり自己慰撫である。

私も、、、リジヤ・アヴィーロワを信じないが、彼女の文章には憐れと同情を催す”

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