チェーホフの短編小説「たわむれ」を読む

チェーホフの短編小説「たわむれ」を読む

チェーホフ略歴 '60年~80年

1860年
1月17日(16日の説もあり)タガンローグに生まれる。5人兄弟の三男。妹一人。

1869年
9歳
タガンローグ男子古典学校(8年制)に入学。

1875年
15歳
二人の兄がモスクワへ。

1876年
16歳
父の店が破産。チェーホフを残して一家はモスクワへ。チェーホフは家庭教師で自活する。この後の孤独と自由な3年間が後年の作家チェーホフ形成の重要な時期となる。

1879年
19歳
6月学校を卒業。市自治会の奨学金を得てモスクワ大学医学部に入学。貧窮の一家と合流。この年の暮れからユーモア雑誌への投稿をはじめる。

1880年
20歳
「となりの学者への手紙」が、初めて雑誌に掲載される。以降、医学生と新聞投稿作家の二束の草鞋でユーモア短編小説等を書きまくり、一家の生活費を稼ぐ
「小説のなかで一番多く出くわすものは?」「リンゴのために」

チェーホフ略歴 '82年~87年

1882年
22歳
ユーモア雑誌「断片」のレイキンと知り合い、以後300篇の短編を寄稿。
「咲きおくれた花」

1884年
24歳
医学部を卒業。9月モスクワの自宅で医療活動を開始。12月最初の喀血。ユーモア短編集「メルポメネ物語」を自費出版。
「外科」「カメレオン」「牡蠣」

1885年
25歳
レイキンの紹介で「ペテルブルグ新聞」寄稿を始める。ペテルブルグでスヴォーリンと会う。
「別荘の人々」「お抱え猟師」「悲しみ」

1886年
26歳
短編集「雑話集」出版。現チェーホフ博物館のある住居へ引越し
「ふさぎの虫」「アニュータ」「結末のない話」

1887年
27歳
タガンローグへの旅。短編集「たそがれに」を「新時代」社から出版。
「幸福」「悪党たち」「カシタンカ」

チェーホフ略歴 '88年~92年

1888年
28歳
「草原」が好評。10月「たそがれに」でプーシキン賞を受賞。12月チャイコフスキーと知り合う。
「ともしび」「名の日の祝い」「発作」

1889年
29歳
1月ペテルブルグでアヴィーロワと知り合う。6月次兄ニコライが肺結核で死去。
「賭け」「公爵夫人」「退屈な話」

1890年
30歳
3月短編集「憂鬱な人びと」を出版。4月シベリア・サハリンへ。流刑地の実態調査。12月モスクワに帰る
「シベリアへの旅」「グーセフ」

1891年
31歳
3月~5月スヴォーリンとともに初めてヨーロッパを旅行。秋、大飢饉による難民を救済するため活動。
「女房たち」「決闘」「サハリン島」を書き始める

1892年
32歳
1月アヴィーロワと再会。ニジェゴロド、ボロネジの飢饉救済活動。メーリホヴォに引越し。医師として飢餓とコレラ対策の活動。
「妻」「隣人たち」「六号室」「恐怖」

チェーホフ略歴 '93年~97年

1893年
33歳
体調不良。「サハリン島」の連載。
「無名氏の話」「大ヴォロージャと小ヴォロージャ」

1894年
34歳
3月ヤルタ滞在。8月~10月2度目のヨーロッパ旅行。
「黒衣の僧」「女の王国」「サハリン島」が完結

1895年
35歳
「サハリン島」出版。2月アヴィーロワを訪問。8月トルストイを訪問。11月「かもめ」執筆。
「三年」「奥さん」「殺人」「アドリアナ」

1896年
36歳
8月メーリホヴォ近郊のターレジ村に小学校を建設し寄贈。8月~9月コーカサス、クリミア旅行。「かもめ」ペテルブルグで初演し失敗する。
「かもめ」「中二階のある家」「わが人生」

1897年
37歳
メーリホヴォ近郊ノヴォセルキに小学校を寄贈。大喀血で入院。肺結核の診断。転地療養のため南仏ニースへ(3回目のヨーロッパ。9月~翌5月)。ドレフュス事件に強い関心
「ワーニャ伯父さん」「百姓たち」

チェーホフ略歴 ’98年~04年

1898年
38歳
3月タガンローグにフランス書籍300冊を寄贈。5月に帰国。9月父パーヴェルの死。モスクワ芸術座の稽古でオリガ・クニッペルと知り合う。ヤルタに永住を決意し、家を新築。11月ゴーリキーとの文通開始。12月モスクワ芸術座の「かもめ」が大成功。
「箱に入った男」「すぐり」「恋について」

1899年
39歳
ヤルタに移住。ゴーリキーとの交友。ブーニンと知り合う。5月アヴィーロワと最後に会う。8月ヤルタに引越し。10月モスクワ芸術座「ワーニャ伯父さん」を上演
「可愛い女」「職務の用事で」

1900年
40歳
1月トルストイ、コロレンコとともに学士院名誉会員に選出。「三人姉妹」脱稿。12月~翌2月ニースへ(4度目のヨーロッパ)
「三人姉妹」「谷間」

1901年
41歳
1月モスクワ芸術座で「三人姉妹」初演。5月オリガ・クニッペルと結婚。8月遺書作成。12月喀血。
「僧正」

1902年
42歳
クニッペル流産。チェーホフも疲労し体調悪化。「桜の園」に着手。

1903年
43歳
体調不良のなか「桜の園」脱稿
「いいなずけ」「桜の園」

1904年
44歳
モスクワ芸術座「桜の園」初演。6月、南独のバーデンワイラーに転地療養。3週間後、7月2日午前2時ホテル・ゾンマーにて死去。遺体はモスクワのノヴォデーヴィチー修道院墓地に埋葬された。

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